東インド会社によりヨーロッパへ渡った白い磁器 |
有田焼の磁器は染付・染錦などに代表される古伊万里様式、濁手・赤絵などで知られる柿右衛門様式、色鍋島に代表される鍋島様式の3つに大きく分類されます。
鍋島藩により献上品・藩御用として保護された色鍋島は有田の地、藩の外へ流出する事が殆どありませんでしたが、有田焼の他の様式である古伊万里様式と柿右衛門様式の磁器は1653年以降、長崎のオランダ商館から東インド会社によって伊万里港から“伊万里”の名でヨーロッパなどへ輸出されるようになりました。
東インド会社はそれまで中国の景徳鎮で焼かれた色絵磁器などをヨーロッパへ輸出していましたが、明代末から清代始めにかけての中国国内の混乱により中国の磁器をヨーロッパへ輸出することが出来なくなってしまいました。
そこで、東インド会社は日本の有田で焼かれている色絵磁器に着目し中国の磁器の代わりに有田焼をヨーロッパへ輸出し始めたのです。 |
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ヨーロッパには当時、有田焼のような白い磁器が殆どなく、“伊万里”と呼ばれた有田焼は上流階級の間で人気となり大変に珍重されました。
17世紀から18世紀中ごろになると、“伊万里”の名で人気を集めた有田焼が数百万個以上も東インド会社によりヨーロッパに輸出されました。その当時の日本・有田焼は柿右衛門様式の完成期に当たります。
柿右衛門様式による有田焼の特徴は白い生地に空間を生かしデザインされたもので、それまでヨーロッパが景徳鎮から輸入していた磁器とは全く異なる非常に人気の高い商品でした。
オランダのデルフト地方を始めドイツのマイセン地方などの陶器の産地では遠い日本から届いた有田焼の磁器を元に写し絵が行われまた磁器の研究もされました。 |
現在のヨーロッパの銘窯にも有田焼のデザインは脈々と受け継がれています。
ドイツのマイセンで有名な染付デザインの“ブルーオニオン”も有田焼の石榴や桃が模写されたものである事、ハンガリーの世界的な銘窯であるヘレンドの“インドの華”も柿右衛門様式が基本になっていて、それが150年以上も愛され続けている事をご存知の方も多いことでしょう。 |