焼き物の歴史 海外編

ノリタケ 大倉陶園の食器とギフト食器の豆知識焼き物の歴史 海外編

今回は昔の食卓の様子に触れてみたいと思います。
13世紀、中国の陶磁器がヨーロッパに渡りその後スペイン人やポルトガル人が、さらに17世紀になるとオランダの東インド会社もそれらの陶磁器を運びました。しかし、それらは非常に高額で、ほんの一部の上流階級だけのものでした。しかも、ほとんどが食器として使用されたのではなく、装飾品としてのものでした。
当時の食卓にはテーブルクロスが敷かれメソポタミアから続くパンと共に肉や魚などの料理が並べられていました。食卓についた人たちは各人が腰に差したナイフを用いて金属製の皿かパンで出来た皿に料理を分けて手で食べていたのです。でも、手で食べるとどうしても手が汚れてしまいます。テーブルクロスはその汚れを拭くナプキンだったのです。
陶磁器がまだまだ普及していない時代ですが、ガラスや金属食器は一歩先に王侯貴族の食卓に登場しはじめていました。今でも、金属の器で提供されるフィンガーボール、もしかしたらその頃か、しばらく後の時代から使われたのでしょうか?
16世紀頃の巡礼者の宿泊施設が《元祖レストラン》です。日本で言うなら旅籠です。
《RESTAURANT》の元々の意味は『栄養の補給』であり、またメニューのひとつでした。
《どんな料理だったのだろう・・・?》と素朴な疑問が生まれます。『肉を煮込んで作る料理』だったそうです。現代に置き換えるとシチューかスープ、西洋風煮込ですね。そのメニューの名前がいつの間にやら現在使われている《レストラン》の意味に変化していったようです。
それまでは、自宅か友人・知人のお宅かは別にして個人の家で食事をとることが一般的であったのですが、巡礼の旅から外食の文化が生まれると腰に差したナイフ以外にもフォークやスプーンなどのテーブルウェアが登場し食卓の様子が大きく変わりました。しかし、この頃になっても盛皿から取り分けて食事をする様子は変わりませんでした。
後に、有田(伊万里港)から伝わった陶磁器の製造がヨーロッパで盛んに研究されます。スペインでは、白い釉薬を使ったマジョリカ焼が出来上がり、またオランダでは東洋の磁器を真似た陶器を作っていました。しかし、それらの器は陶器であり磁器ではありません。ヨーロッパで最初に磁器の製造に成功したのは、18世紀になってからのドイツのマイセン地方だったのです。
前にも記しましたが、《ブルーオニオン》のデザインも有田の柘榴とか桃が、それに人気の高い《インドの華》などヘレンドの多くのデザインも柿右衛門様式なのです。そして他にもヨーロッパの銘窯の多くに日本の文化やデザインが生きています。
そして現代の日本では、1876年に森村組が創立され日本の古い陶磁器や骨董などをアメリカに輸出し、その森村市左衛門によって1904年に海外輸出用の食器製造を目的に日本陶器合名会社(現 ノリタケカンパニーリミテド)が創立され、また1919年には『良きが上にも良きものを』そして、ヨーロッパの銘窯を越える美術的要素の強い磁器を作りたいと大倉陶園が創立されました。現在これらの会社の製品は日本国内だけでなく世界中で使用され非常に高い評価を得ています。

          参考文献  器物語      中日新聞社発行 ノリタケ食文化研究会編 
           洋食器の事典  成美堂出版発行 成美堂出版編

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